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銚子近辺における飯岡の座頭市と平田篤胤、そして震災にも耐えた大鳥居

平田篤胤とは安政5年(1776)~天保14年(1843)に生きた国学者。
本居宣長らとともに四大国学者に数えられる、古道学の大成者である。
その思想は水戸学とともに明治維新の原動力となり、廃仏毀釈にも影響を与えた。

その平田篤胤と銚子を結ぶ、奇妙な話がある。
平田篤胤が40代の頃、不思議な石笛を得る夢を何度か見たそうだ。
それから時が経ち、同氏は1815年、鹿島、香取、息栖の東国三社を詣でて飯岡から銚子に入る事にした。
すると銚子の神社の神殿に、夢に出てきた石笛がある。
同氏は神官に頼み、その石笛を譲って貰ったそうだ。

石笛とは海岸での浸食により出来た自然石の笛である。
音を出すのはひじょうに難しいそうだが、その音色はとても美しいと聞く。
その銚子の石笛は現在、東京渋谷の平田神社に大切に保管されている。
そして飯岡には、ひっそりと平田篤胤碑が佇んでいる。
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それで飯岡繋がりで言うと、やはり座頭市だろう。
最近は随分、近辺の街でも座頭市が飯岡出身だと知られ碑まで建っているが、俺が調べ始めた頃はほとんど知られていなかった。
だが、昭和の国民的映画、勝新太郎の座頭市シリーズには飯岡、銚子、松岸などの地名が頻繁に出てくるし、海岸近くには、座頭市住居跡の標識もあったのだ。

また、あまり知られていないが映像での座頭市の影響力は、世界にも飛び火している。
ブルースリーの【ドラゴンへの道】は以前から影響が指摘されているし、TV版座頭市はキューバのカストロ前議長も大ファンと公言している。
現在、映像やイラストに描かれる座頭市は、全て勝新太郎以降の座頭市だ。
俺は勝新太郎の映画、座頭市の大ファンで、レンタルやスカパーで何回も見たが、TV版は未視聴なので是非見たい。
ただ、勝新太郎以前の座頭市に迫るものも知りたいと思ったりする。
北野武監督の座頭市は、ある意味、偶像のそれを壊しているので大好きだ。

そして、その座頭市が世に出るきっかけとなったのは、子母澤寛氏の随筆集【ふところ手帳】の中の掌編小説である。
九十九里の侠客の取材に来ていた子母澤氏が飯岡に滞在していた時、古老から聞いた話が元になったと言われているが、古い文芸春秋の放談では「佐原の友人に誘われて飯岡に行った」となっている。
座頭市は江戸後期の任侠道の大親分、飯岡助五郎の子分である。
どっちにしても助五郎親分の取材で、小説のヒントにぶつかったのだろう。

余談だが飯岡助五郎と深い縁があった、銚子の五朗蔵の墓塔は圓福寺にあり、同寺には助五郎と五朗蔵が寄進した大茶釜も保管されている。
それと座頭市の住居跡地近くにある大鳥居は、あの東日本大地震の津波にも流されず、今も雄大にその姿を留めている。
その内、今では珍しくなった木の鳥居をまとめたブログを書こうと思うが、俺の中で飯岡の鳥居は横綱級だ。
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by boogie444 | 2013-06-23 09:06 | 歴史&散歩 | Comments(0)

或る日の日常

先日はCD完成打ち上げ呑み会。
メンバーやエンジニア、ライブにいつも来てくれる友人達と朝まで呑み、起きたのが午後三時半。
おかげで随分スッキリしたもんだ。
DEMO VOL1は有難い事に二日で完売。
すぐにまた創るも、まだ予約が来ている。
本当に言い尽くせぬ感謝の気持ちでいっぱいだ。
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CD、昨日も古くからの友人達が多く買ってくれた。
自分の分だけじゃなく、人の分もだ。
こんな地方で俺のやって来た爆音が、と思うと、己の築いたものも満更じゃなかったと思える。
いや、そんな事より多くの友人達の大きさに、ひたすら感謝するのだ。
俺はそれには、ひじょうに恵まれている。
だから自惚れる暇もねぇな。

何でもそうだが、困難乗り切ればそれだけ必ず強くなり、優しくもなれる。
言葉だけじゃなく、ネット上だけじゃなく芯がだ。

DEMO VOL2は冬頃、REC予定。
VOL1は今まで俺のやってきた曲が中心。
よってDEMO VOL2がJET GENNOUSの実質1stとなる。

それはそうと例えば、傍から見ても笑えねぇってのを痛感する事がある。
恩を仇で返し自己弁護。
やっぱり、事の重大さを分かるってのは天性の才能の一つ。
何事も解説している時点でジ、エンド。
だから、そんなもん不要だと思ったりする。
しかし、年齢を重ねる度、おもしろくなるってのはスゲぇ事だと思う。
だから、全てはこれからだ。
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by boogie444 | 2013-06-16 23:43 | 日常 | Comments(0)

銚子犬吠灯台と涙痕の碑、夢二碑と独歩碑

1917年(大正6年)早稲田大学の詩人、三富朽葉と今井白楊が君ヶ浜で大波にのまれて溺死した。
俺はこれでも詩人の端くれ。
犬吠灯台近くに立つと、この涙痕の碑を思い出す事がある。
この頃の詩人は、血を含ませた言葉を叩きつけるような印象があり、俺はよく読んだ。
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犬吠灯台は世界灯台100選、日本の灯台50選にも選ばれてる強者。
世界の北野武も新婚旅行で訪れている。
初点灯は明治維新から6年後の1874年11月15日。
その眩い灯火はまさに文明開化の象徴だったのだろう。

また設計者のヘンリーチャールズブラントンに一歩も譲らず、香取産のレンガを使ったのも凄い。
話は少し逸れるが、あの歴史的大事件である黒船来航の際、「俺らにも作れる」と思った日本人がいた。
現に黒船を作ってしまった雄藩もある。
黒船同様、当時の日本人気質が分かるエピソードだ。

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この犬吠埼にはひじょうに珍しい奇石が多く存在する。
砂岩泥岩互層(さがんでいがんごそう)もその一つ。
波で柔らかい泥岩が削られて出来たものだ。
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それと文学碑繋がりとして竹久夢二と国木田独歩も書いておく。
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待てど暮らせど来ぬ人を
宵待草のやるせなさ
今宵も月も出ぬさうな

これは竹久夢二が長谷川賢を想い書いた詩である。
長谷川家は北海道から銚子に移住。
当時、銚子に来ていた夢二と運命的な出会いをする。
しかし、その恋は実らず賢は音楽教師と結婚。
夢二は失意の中、宵待ち草を書いたとされる。

賢は晩年、夢二の事を「不良ね」と言って笑っていたという。
俺はそれを聞き納得。
そうでなけりゃ、あの時代に組織の力も持たず、あれほどの行動は出来なかっただろう。

銚子電鉄海鹿島駅から林を抜け下った右側に夢二碑はひっそりと建つ。
そのまま海に出るのも風情がありまた良し。

一方の国木田独歩碑も海鹿島駅から近くにある。
独歩は銚子出身(父は播磨出身)で明治に名を馳せ、日本文学界に輝く大文豪。
独歩碑は自然の巨石で、通称石山と呼ばれ子供たちの格好の遊び場にもなっている。
しかも、その碑の前にはヤマサとヒゲタのベンチが一つづつ。
これがローカル色豊かなうえイージーでちょっとおもしろい。

海鹿島は明治、大正時代には避暑地として知られ情緒豊かな場所は小道にまだ残っている。
俺はかつてこの近くに住んでいたので、よく子供と一緒に遊んでいた。
だからか、この辺りを通るとどことなくロマンチシズムを未だ感じるのだ。
ただし、石山や坂はラヴァーソウルに適さず。
だが、それでもラヴァーソウルで遊んでいた。
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by boogie444 | 2013-06-01 15:57 | 歴史&散歩 | Comments(0)